里湖 モク採り物語―50年前の水面下の世界

平塚純一・山室真澄・石飛 裕
2006

今から約50年前,農家人口率が約4〜5割だった頃,人々の暮らしは,地域の自然とともにあった.田畑近くの二次林は里山と呼ばれ,薪炭・木材や堆肥などを得る場として生活の基盤となっていた.一方,湖では,魚や貝が採取されていただけでなく,農業の肥料としてアマモなどの沈水植物が採取されていた.この「モクトリ」,「モバトリ」と呼ばれる肥料藻の採集は,今は廃れ,人々の記憶から消えつつある.本書では,豊かな恵みをもたらしていた湖を「里湖」(さとうみ)と呼び,そこでかつて行われていた「モク採り」の実態について明らかにしたものである.

湖沼環境に強い関心を持つこの本の筆者3人は,人間が,湖沼の恵みを最大限活用していた当時の様子を丹念に調査し,人と湖沼環境のあり方を立体的に明かにし,守るべき湖沼の姿はどのようなものかを読者に問いかけている.まず,中海,宍道湖での聞き取り調査によってモク採りの営みの実態を詳しく調べ,さらに調査対象を全国に広げ,それが各地の「里湖」で行われていたことを明らかにしている.それと同時に,モク採りを含めた物質循環系についても詳しく調べられている.これらの結果から,このモク採りは,湖がもつシステムを何ら損なうことなく,人間が持続的に湖の恵みを得ることができた合理的なシステムであったことを示している.そして,そのサイクルが止まってしまった理由についても考察している.

里湖は,地学的に見れば,多くが,潟湖(海跡湖)や河跡湖である.また,汽水湖であることも多い.このような湖は,平野の,川の最下流に位置するため,必然的に流域の様々な物質が集積する場所である.本来,湖沼には,自然の調整機能が存在しているため,その環境が急激に変化することはなかった.しかし,現在では,人間の活動に伴って多くの場所で環境悪化が進行し,その対応に多大な労力が払われている.その労力の割には環境はほとんど改善されていない.それは,私たちが湖沼環境のシステムをよく理解していないからであろう.かつて持続的に利用されてきた湖沼と人との関係を,本書のように評価していく作業が,これまでの充分行われてこなかったことを痛感する.

この本で扱われている里湖や,河川,干潟,湿原,海岸地域などは,総称してウェットランドと呼ばれている.そこは,多様な生物の生息する場であり,里湖と同様,これまで多くの恵みを人間に与えてきた.これまで,私たちは,その価値を正しく評価できていなかったため,その多くを破壊し,さらに諫早湾の干拓事業のような悲劇を生んできた.ウェットランドを理解する上で,私たちは,地質学的時間スケールでの場の成り立ち,流域全体としての物質循環系,過去から現在にかけての人々の暮らし,生物多様性,地生態学的なシステム,地域の特殊性などより多くのことを深く知らなければならない.この本で示されているのように,そこの環境の仕組みを探り当てるには,一面的な調査では無理である.環境問題解決のためには,文理融合の視点が大事であるとは良くいわれることであるが,成功例は多いとはいえない.そういった中で,複眼的な視点を持つ本書の取り組みは,良い羅針盤となるであろう.

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界

里湖(さとうみ)モク採り物語―50年前の水面下の世界